一つ心 One Accord
   教会における 正常な一つ心は、からだの真の一の実行です(マタイ18:19、使徒1:14)。マタイによる福音書第18章19節で、主はヨハネによる福音書第17章で一のために祈る前、彼の弟子たちを訓練して一つ心を実行させられました。実は、すでに見てきたように、一つ心であることは一を実行することです。ヨハネによる福音書第17章での主の祈りの後、四十日あまりで、百二十人の弟子たちが共に一つ心で祈ることによって、マタイによる福音書第18章での主の指示を実行しました(使徒1:14)。
 わたしたちは一つ心を実行する時、一つ霊の中にあり、一つ魂をもってであることを学ばなければなりません(ピリピ1:27)。わたしたちは肉体的に同じ部屋で一緒に座っているかもしれませんが、もし霊の中で一でないなら、魂において一でないことは確かです。一つ心を実行するためには、霊に戻り、そして霊を伴って魂の中に入り、一つ心になることを学ばなければなりません。 一つ心を実行するためには、同じ思いの中で、また同じ意見の中で調和されなければなりません(Tコリント1:10)。同じ思いの中で調和されるとは、実行上、魂の中で一となることです。わたしたちの思いの中の思想が語ることで表現される時、それはわたしたちの意見となります。意見が思いの中にとどまっている時、それは思想です。思うことでの違いが意見として表現される時、それは問題を引き起こします。
 コリントの信者たちは、同じ思いの中で調和されていませんでした。こうして、彼らは肉の中で異なって語りました。ある人は、「わたしはパウロにつく」、「わたしはアポロにつく」、「わたしはケパにつく」と言いました(Tコリント1:12)。彼らの間で霊的であると思われる人たちは、「わたしはキリストにつく」と言いました。これも意見の表明でした。このような異なる語りかけは、コリント人の間に分裂をひき起こしました。(「今日の主の回復における内在的な問題とその聖書的な治療法」 第2章 日本福音書房)

 書簡の中で、さまざまな地方教会に表現される状況を通して、主はさらに一つ心が何であるかを見せられます。コリント人への第一の手紙第1章10節は、わたしたちは同じ事を語り、同じ思いの中で、また同じ意見の中で調和されなければならないと言います。どのようにして、わたしたちは同じ事を語り、同じ思いと同じ意見を持つことができるのでしょうか? コリント人への第一の手紙全体は、この同じ語りかけがキリストであり、同じ思いと同じ意見もキリストであることを見せています。わたしたちは日常生活の中で、キリストをわたしたちの中心またすべてとするなら、わたしたちが語り、思い、理解することはすべてキリストであるでしょう。これが一つ心であり、一の実行です。このキリストは、復活の中で命を与える霊と成り(Tコリント15:45後半)、内側でわたしたちの享受となられました。わたしたちの一の実行は、彼にかかっています。彼を語り、彼を考え、彼を享受し、彼を表現する時、わたしたちは調和して一となるでしょう。(「主の切望にしたがった一と一つ心、そして彼の喜びにしたがったからだの生活と奉仕」 第1章 日本福音書房)




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