名古屋に在る教会

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救いの証し(1)

私は若い頃よく「人は生まれて来て、それぞれいろんなところを通り、そして死んでいく、結局ゼロになるのだ」 と思ったり、 本当にそれだけのことなのか、もしかしたら人として生まれてある期間生活するということに何か意味があるのではと思ってもいました。 そうしたある日、ある事が起きて大きな行き詰まりを感じ、八方塞がりの中に置かれました。私の状態を知った親友が訪ねて来て私に二つのことを言ったのです。

一つは「主はあなたの中に入りたいのよ」 もう一つは、「神には御計画があるのよ」ということでした。 そして「おお主イエスよ」と呼ぼうと言われ、誰かに聞かれるのではないかと周囲を気にしながら小さな声で一緒に呼びました。

友達が帰って行った後、主の方が私に入って来たいのであれば入って来てもらおう、私の内側に入られるなら、誰にも分かってもらえない 私の内側の苦しみ悲しみ全てを分かってもらうことができる、そして又自分の人生の計画が全く壊れてしまった私が、神の計画の中に入れてもらえる、 そしてこれこそ人として生まれて来た最高の価値あるものだと思いました。主を絶対に欲しいと願い、幼い二人の子供をつれて、 親友の居る東京まで出て行き、バプテスマしました。

東京から帰って来た夜おそくバプテスマした日の事を思い返していた時、 急に内側から熱く、暖かいものが湧き上がってきたのです。私は喜びのあまり泣きました。そして「キリストはすばらしいですよー」 と大声で叫びたくなり窓を開いたのです。 その時のシーンと静まり返った冷たい冬 夜の情景を今でもはっきりと覚えています。

いつも下を向いて歩いていた私を見ていた妹達がバプテスマした後、前を向いて歩いている私の変わりようをみて妹達も母も主を受け入れました。 救われた後も困難はありますが、内住のキリストと神のエコノミーの中に保たれていますことを、感謝します。 K.A.

救いの証し(2)

私が主イエス・キリストを信じたのは18才の時でした。その当時私はパチンコが好きでよく行っていました。また音楽を聞く事も私の趣味でした。 パチンコはたとえ勝っても心に満足はなく、好きな音楽を聞いても心の空しさは満たされませんでした。

私には一人の兄がいますが、兄はアメリカに留学し、そこでクリスチャンとなりました。その兄がある時私の家に戻って来て福音を語ってくれました。

しかし当時私はある神社を信じていたので主イエスをすぐには受け入れられませんでした。 しかし兄を見ていると、兄は毎日喜んでいる生活をしていました。例えば兄が夜おふろに入っている時、大きな声で楽しそうにキリストの歌を 何十分も歌っていました。

また兄が笑った時の目はとても輝いていました。また兄が犬を散歩している時、 犬が普段よりとてもかわいく見えました。そんな兄を見ていて彼が信じているキリストには何かあるとか、 キリストは本物かも知れないと思い、私も徐々にキリストを信じたくなっていきました。

そしてある晩私は兄の部屋に呼ばれました。そして「人は神を入れる器であり、主イエスを信じると神が人の霊の中に入り、 人は神の命を持つ」等と語ってくれました。そして兄は私に「目をつぶりなさい」と言いました。

私が目をつぶると兄は 「今から僕が神に少しずつ祈るので、同じ言葉を神に祈りなさい」と言いました。兄が「おお主イエスよ」、私も震えるような声で 「おお主イエスよ」と言いました。兄が「主イエスよ、あなたは私のために十字架につけられました。私の罪を許して下さい。 あなたを受け入れます。私の霊の中に入って来て下さい。私は神の命を持ちました」これらの言葉を短く、兄と同じように神に祈りました。

私が目を開けると心は喜びで満たされていました。 このように主イエスを受け入れて私の心は空しさから満足に変わりました。暗い心に光りが昇りました。

主イエスこそ私の心を満たす方である事を知りました。また主イエスこそが真実で永遠の神であることを知りました。 私は現在50代ですが、私の生涯の終わりに誰かに「あなたの一番の宝物は何ですか?」と聞かれたなら、 「私の一番の宝物は主イエス・キリストを受け入れた事です。」と答えるでしょう。 T.G.

救いの証し(3)

主に感謝します。私は5年前に救われました。私は幼い時から「無神論」で教育されました。また人間は努力すれば 何でもできると教えられました。それで、小学校から大学まで勉強にも生活にも自分の力で頑張ってきました。

N大学の大学院へ入って、あるクリスチャンに会いました。私はその人に「神はどこにいるのですか?」 「神は見えるのですか?」という質問をしていました。

その答えは「神は見えない方です。ちょうど電波が見えないけれど実在しますね。 もしあなたが電波を受信できる器具をもっておられるなら、簡単に電波に接続できますよ。空気も同じです。見えなく、 味もなく、形もないですが、それを吸わないと生きることができないように、私たちも見えない神を吸わないと生きることは出来ないのです。」と言われました。

私は続いてたずねました。「では私たちはどのようにして神と接触できるのですか?」その人は「わたしたち人には霊があります。 これは人の中でも重要なものです。神が私たちの霊の中に入ってくると、神の命を得、神との会話ができるのです。・・・・・・」 と言われました。その当時の私にはこれらのことはとても理解できず、不思議な話しでした。

しかし、考え方が変わり、人生が変わったのは大学院を卒業する頃でした。その当時、就職活動を始めましたが、採用試験を受けては 落ちるという繰り返しで、辛い思いをしました。人生の中で道に迷ったようでした。もともと大人になったら、 スーパースターのようになりたかったのですが、現実は夢とは違い、何をどうすればよいのか分からず、自分でも道を見出せませんでした。

このような時に、道に迷った私は主イエスの名を呼び求め始めました。「人の終わりに神の働きが始まる」 と言われたことがありましたが、私は主イエスを求め、聖書の言葉をとても興味をもって読み始めました。 自分の弱さを認めて主を受け入れました。

今は生活のすべてで、家庭生活の中でも、私の頭は主イエスです。物事を決め、 行動する前にまず主に祈ります。私には本当に主が必要です。自分の弱さを認めて、 主イエスにより頼む生活は何と素晴らしい事でしょう。ハレルヤ! L.Z.

救いの証し(4)

私が救われたのは、大学へ入学し寮生活を始めたばかりの頃でした。  ルームメイトの先輩に食事に誘われて、そこで初めて福音を聞きました。人は神を入れる器であること。 神は命を与える霊となり、私という器を満たしたいと願っていること。

そうは言われても、特に深刻な悩みはなく、親の保護の下で衣食住の心配も不足なく、元気な家族、友人もたくさんいて、 希望の進路に進めた私に、「神」を必要とする理由が何もありませんでした。 また、何か困っていたとしても、「生きていく上で頼れるものは自分だけ。神も仏もないのだから。」 という最強の父の下で育った私に、「神」は弱い人に必要な方で、最も遠い存在でした。それも、よりによって イエス・キリスト・・・。あり得ない選択肢でした。

何故あの時、主を受け入れたのか、不思議でなりませんが、はっきり覚えているのは、主の素晴らしさを語る姉妹たちの顔が、 あふれる喜びで、宝のように輝いていた事です。その輝きに引き寄せられて、私は主を受け入れました。

あれから四十年余り。 最も遠い存在であった神は、私の中に生きておられ、誰よりも近い存在となっています。私たちを愛し、私の命、 また必要の全てとなられる方として日々経験しています。 神を必要と感じても、感じなくても、神は私たちを必要としておられます。宇宙で最高の宝は さらに輝きを増しています。ハレルヤ!

『しかし私たちは、この宝を土の器の中に持っています。』

『義人の路は夜明けの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。』 Y.H.

救いの証し(5)

私が今住んでいる町に来たのが2010年12月です。その三日目に主の回復の女性のクリスチャンに出会いました。 長男夫婦と一緒に住もうとの申し出があり、佐賀県よりこの町に来たのですが、来て二日目にはもう嫁の反対に会いました。

家に帰れないので、図書館の場所を教えてもらうために郵便局に来ました。そこで図書館の場所を教えてくださり、 車でそこへ連れて行ってくださったのがその方でした。

下関に住んでいた時、夫の妹がミッションスクールでしたので、私も六年間キリスト教の集会に行っていました。 主はもうその時から私を待っていてくださったのです。ですから回復教会のそのクリスチャンと出会ったのも 偶然ではなかったのです。主に感謝します。

毎日図書館に通いながら、その回復の教会のクリスチャンの勧めにより、バプテスマを受けたのが2011年5月です。

その後も私は左胸からの出血により、乳がんとわかりましたが、80歳過ぎの体ゆえに、手術も抗がん剤の治療もできませんでした。 でも主は私を見捨てず、ずっと守ってくださいます。痛み止めの薬と増血と止血の薬を飲みながら、まだ生きているのです。主に感謝します。

この町に来て、主の回復の教会の教えを学ばせてくださった主に感謝しています。 主の回復の教会のクリスチャンに会わせてくださった主に感謝です。

こんな体だから、福音のための行動は思うようにはできませんが、 家を開いて家庭集会をしています。また私たちは主に祈るという実行ができます。

私の身内の長男、次男、そして孫たちも、祖母がこうして生きているという実情を見て、必ず主を受け入れてくれますように信じています。 朝から夜やすむ(寝る)まで祈り続けています。

主よ、あなたが86年間の今日まで、恵みの翼で覆っていてくださり感謝します。 M.T.

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